【アメリカ NY編】
LAでは車がないと生活できないのでS車を購入していた。
東海岸に旅立つ事になったのでついでにその車でNYまで旅をした。
アメリカのロードムービーが大好きなのでまるで自分が映画の主人公にでもなったかのように北に南にジグザグしながら約2ヶ月掛けて大陸を横断しアラスカ以外の州は一応制覇した。
<感想>とにかくアメリカは“デカかった”。
学生時代に北海道をバイクでツーリングした事があったがその大きさはアメリカの比ではなかった。
その大きさは車に日本では絶対必要ない「auto drive」という装置がありアクセルが
自動的に制御されて1日中ブレーキを踏む必要もないくらいといえばわかってもらえるか。ハンドルを切るのも1日2,3回といった具合だ。
アメリカといえど西海岸や東海岸沿いの大都市以外の内陸部はかなり田舎だった。
西部劇にでも出てきそうな田舎町が続く。
今回の大統領選でもはっきりしたがアメリカは明らかに2つの階層に分かれている。
田舎のアメリカ人が支持したブッシュが当選するのだから大都市だけを見て
アメリカを判断すると誤ってしまう。逆に田舎こそが本当のアメリカなのかも知れない。
NYでは映画を勉強しようと思った。当時好きな映画監督がジム・ジャムーシュやスパイク・リー、ウディ・アレンといったNY出身の監督で「taxi
driver」などNYを舞台にした映画も大好きだったから。(ハリウッド映画は少し幼稚だと思う。)
手始めに名門NYアクターズスタジオに行ってみた。デニーロやパチーノはもちろんエリア・カザンによってジェームス・ディーンが見出されたのもここだった。
研究生のオーディションを受けてみたがあえなく失格。
英語のレベルが低すぎたようだ。
次にトライしたのがエキストラの仕事。お金を払わず稼ぎながらいきなり本番で勉強できると思った。プロダクションに登録していると向こうが欲しいタイプのエキストラであれば連絡がある。結局何度か仕事をもらったが中国人の殺される役ばかりで1行のセリフももらえなかった。
最終的に映画の専門学校に入った。その学校には世界中から夢見る若者が来ていて自分達のオリジナル脚本を自分達で演じ小さい映画祭を開いたりした。
16mmとはいえフィルム代は高く皆、バイトに明け暮れた。
(笑い話だがNYでウェイトレスに職業を聞くと全員がアクターと答えるらしい。)
貧しかったがまさに夢を喰って生きているような時代だった。
だんだん映画の事が分かってくると自分に才能があるかないかが薄々分かってくる。
技術の問題だけでなくセンスの問題で誰もが「She’s gotta have it」のような作品を
撮れるわけではないのが分かってくる。
非凡な人は制作費を掛けなくてもいい物をつくる。脚本はもちろん照明、カメラの
アングル一つ変えただけで全然印象が変る。その違いがわかるようになってきた頃
少しずつ自信を無くしつつあった。
さらに当時「アン・リー」という台湾出身の監督の映画「JOY LUCK CLUB」を見てとても良く(名匠 小津 安二郎の作品のような雰囲気の映画だった)彼もいきなりアメリカで成功したわけでなく本国での成功の経歴を引っさげてアメリカへやって来たと知った。人種差別が蔓延るアメリカでハンデを抱えて底辺から上がっていくよりも日本で成功してからの方が早いかなとも思い始めた。(今なら呪怨の清水崇かな)
今思えばそれが現実逃避だったのだが当時は楽な方へ逃げた。
多分日々真剣勝負の人間関係に疲れていたんだと思う。
今ではアメリカでの滞在は決して無駄ではなく何より私の視野を広げてくれたと信じている。
特にNYは人種の坩堝といわれるだけあってありとあらゆる文化が共存し、またそれぞれが独立し主張していた。中華街のそばにイタリア人街がありギリシャ、インド人街が隣接しているといった具合に。
何がよくて何がダメというレベルではない。文化は違う事が当たり前でお互いにそれをリスペクトする事が大事なのだと教えられた。
友人とも政治や宗教を話題にしない。通行中に体が触れればにっこりと謝る。
基本的なことだが多民族でみんなが気持ちよく生きていくためには大事な事。
沢山の友人も出来た。アメリカ人はもちろんの事、西海岸ではアジア人、
東海岸ではヨーロッパ人の友人が多かった。
日本に帰ってきた私は今度は世界中に散らばった彼等を訪ね歩く旅を始めた。
ヨーロッパ編へ続く