バンコクにいる。今日は地元のフリーペーパーでの対談があった。現地に駐在しているひとりが元バックパッカーで、最近のバックパッカー事情について話をしないかという依頼があったのだ。
そのなかで国境を越えていく話になった。
いろいろな国の事情については詳しくないのだが、タイの国境には、ふたつのイミグレーションがある。タイはマレーシア、ビルマ(ミャンマー)、ラオス、カンボジアという国に接しているが、このふたつのイミグレーションを設定すているのは、ビルマとの国境である。タイとビルマの陸路国境は、メーサイ〜タチレク、メーソト〜ミャーワディなどがある。僕ら日本人は、国境のボーダーにあるイミグレーションでチェックを受ける。それぞれ、あまり大きくはない川が国境になっていて、そこに架かる橋の両側がチェックポイントになっている。
そこでじっと眺めているとわかるのだが、ビルマ人はそこをなんの審査もなく通過してしまう。国境を通過したビルマ人は、なんの問題もなく、たとえばメーソトの町にやってくる。メーソトの町のクリニックや薬局にはビルマ語が書かれている。市場にもビルマ語が溢れる。ビルマ人たちはそこで、治療を受け、薬を買い、市場で生活物資を買ってビルマ側に帰っていく。
こういう国境を、僕はアジア式開放国境と呼んでいる。もともとこのあたりは、ひとつの経済圏、生活圏になっていて、たまたまその間に国境が引かれたという発想なのだ。
しかしメーソトまでやってきたビルマ人が、バンコクまで審査なしで行くことができるかというと、そんなことはない。メーソトから中部タイのタークに向かう道の途中に、もうひとつのイミグレーションがあるのだ。僕らはそこをノーチェックで通ることができるが、ビルマ人はそこで止められる。
それはメーサイの町も同じである。メーサイの町で会ったビルマ人によると、町から南に5キロほど行ったとこるに、チェックポイントがあるのだという。
「僕らが行くことができるのは、そこまでなんですよ」
彼はそういった。
メーソトやメーサイにしても、ビルマからやってくる人で潤っている一面がある。タイはとビルマは、植民地時代を経て決まった国境を、アジアの流儀でアバウトなものにしてしまっていた。
話はそういうことだと思っていたのだ。
しかしビルマをサイクロンが襲い、生活できなくなった人々が、国境を越えてメーソトの町にやってきた。そのときの記事を読んでいると、本来の橋の国境でタイは審査をしていた。つまり、なにかの事情で、どちらかの国の人々が、片方の国に大量に入ろうとしたとき、ふたつのイミグレーションは、その両方でチェックするという体勢をとることができるのだった。
はじめからそれを考えて、アジア式開放国境をつくったのだとしたら、アジア人は相当にしたたかな人々ではないかと思うのだ。
【下川からひと言】
メーソトの国境はなかなか面白い。日本人はタイ側のイミグレーションを経て、橋を渡ってビルマの
ミャーワディに。パスポートを預けて、国境から3キロのところまでならいける。ビルマのビザをとる必要なはい。
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