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[ ラホールの泥棒宿 ]
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生まれてはじめて眺めた国境はタイのメーサイとビルマのタチレク間に架かる橋だったが、はじめて越えたのは、パキスタンとインドの国境だった。 そのとき、僕はヨーロッパを皮切りにアフリカ、アジアをまわる長い旅に出ていた。新聞社を辞めて、パキスタン航空の1
年オープンチケットを握りしめ、重いザックを背負った旅だった。アフリカのエチオピア、スーダンを訪ね、エジプトのカイロからパキスタンのカラチに飛んだ。チケットはカラチの次はバンコクになっていた。僕はカラチで途中下車し、パキスタン、インド、バングラデシュを陸路でまわるつもりだった。 パキスタンとインドの国境は、昔からラホールからアムリッツアルの間しか開いていない。これはいまも変わりないのだが、パキスタンとインドの仲はけっしてよくない。カシミールの領土圏をめぐって、いまでも衝突が絶えない。そのため、ラホールとアムリッツアルの国境も、両国の関係で開いたり閉まったりする頼りないものだった。もっとも当時はそんな政治状況にも詳しくない若い旅行者で、ただ旅をするということに意識の大半を奪われていた気がする。 僕の気がかりはラホールだった。いまはそんなことはないようだが、当時のラホールは泥棒宿が多いことで有名だった。泥棒宿というのは、泥棒とつるんだ宿のことで、宿が奴らに、「どうぞ、どうぞ」と鍵を渡し、泥棒から見返りを受けとるという宿と客の信頼関係をまったく無視した存在だった。ときにはベッドの下に銃や麻薬が仕込んであることもあった。チェックインをすませて、部屋に入り、ベッドに座ってほっとひと息きというときに、ドアをノックする音がする。開けるとそこに宿とつるんだ警官が立っているという寸法である。 もちろん、そんな宿は1
泊3
ドルを切るような安宿で、その値段になびいてしまった貧しい旅行者から荷物や金を巻きあげるというこの世にあるまじき宿が何軒もあったのである。 しかしパキスタンからインドに向かうには、どうしてもラホールを通らなくてはならない。 さて、どうしたらいいものか……。 僕はラホール行きの列車の切符を買うためにやってきたカラチの鉄道駅で悩むことになる。(つづく)
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| 下川 裕治 |
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